熊本地方裁判所山鹿支部 昭和37年(ワ)62号 判決
以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。
〔判決理由〕以上諸般の事情、とくに被告は教育者として平素教え子等の就職に当り請われるままに、その身元保証をして来た関係から、本件岡本純一についても右同様の気持で深く考えずに保証をしたものであること、原告会社の被用者に対する指導監督および事務処理の機構上にもすくなからぬ怠慢過失や不備不手際の存したことが明認されること、原告会社と直接の不法行為者である訴外岡本との間には既に即決和解が成立していること、および右岡本(身元本人)が未だに五二万円余しか弁償しておらないのに、同人に対し原告会社が何ら強制執行等の処置(右岡本の新就職先における俸給給与等に対する差押、取立命令等の手続)を執ることなく、また他の保証人(右岡本の実父)に対しても全然求償等の挙に出ておらない(これらのことはいずれも原告の認めておるところである。)のにも拘らず、何ら反対給付を受けることなく、全く好意的な動機から保証したに過ぎない被告だけに多額の賠償を強いるということは著しく衡平を失した措置と考えられるということ等の事情を斟酌し、これに身元保証制度なるものは、もともとその濫觴を、半身分的な雇傭関係である徒弟の身元保証に発し、漸次、使用者と被用者との間の人的関係が密接な個人営業における一般雇傭関係にもおよんだものであつて保証人に保証契約後も身元本人に対する日常の監督指導の可能性が残されているということを前提として成り立つたものであるから、今日のように企業が組織化され、大型化して、身元保証人において保証契約後、身元本人に対する個人的な監督指導を行うというがごときことは殆んど望むべくもなく、また身元本人(被用者)の行為により生ずるべき損害も多額化ないし巨額化を免がれず、身元保証当時において、保証人が右損害発生の可能性ないし蓋然性や損害額の蓋然量を予測するというがごときことも全く不可能に近く、反面雇傭側(とくに近代的企業)においては、統計的にかかる損害を推計して、利益金を任意準備金として社内留保し、もしくは賠償予定額を負債性引当金として負債に計上すること等により右損害を填補し、いわゆる企業の自己防衛をはかることが比較的容明であるという現状のもとにおいては、かかる損害をすべて身元保証人の個人的な資産資力によつて弁償担保しようというようなことは事実上到底期待し得ないことであるだけでなく、国民経済上著しく不衡平というべきであり、また現実にも、身元保証制度は、すくなくとも組織的な近代企業(本件原告会社もその営業内容や規模構成等からこの範疇に入るものと考えられる。)においては、右のような損失処理に関する企業会計のシステムにかくれて、その損害担保契約としての実質は薄れ、漸次形骸化して、被傭(採用、入社)時における一種の形式的践成条件(一種の手続的な入社条件)たるの意義しかもたなくなつており、早晩近代的な身元保険制度にとつて代られるべき趨勢にもあるものであるということに鑑みるときは、身元保証人の責任の軽重を定めるに当つて、身元保証に関する法律第五条所定の斟酌事情をとくに重視するということも決して不当とは考えられないということ(けだし、成法がそのよつて立つところの社会的基盤と密着し、安定している場合においては、一般条項の安易な適用は避けられなければならないが、両者の間に遊離が生じ、成法が動揺を示している場合においては、一般条項の活用により右遊離により生じた両者の間隙ないし断層を埋めることは、法の解釈ないし運用上当然許されるものと考えられるので、上記のように身元保証の社会的実態が損害担保契約としての法的性質との間に次第に乖離を生じはじめている今日においては、一種の一般条項たる同法律第五条の包括的な斟酌事情をとくに重く考えるということは決して不当の措置とは思われないからである。)等を総合して判断するときは被告の身元保証人としての賠償責任は、その額において相当に減額せられるべきものであり、結局その賠償義務を認むべき金額は金三〇万円<注請求額は二〇〇万円>をもつて相当とすべさものと思料される。 (石川晴雄)